大東亜戦争の原因①「アメリカという国難」

日本の近代化のあゆみは、アメリカとの邂逅からはじまりました。近代的な政治制度や資本主義経済のシステムなど、アメリカから多くのことを学んだ日本は、近代国家へと発展を遂げます。その一方で、中国大陸の利権と太平洋の覇権をめぐって抜き差しならぬ関係に。時代の流れは両国に平和を許さず、やがて大東亜戦争に突入します。

相手側の思惑や国家的事情を抜きに、戦争の原因を語ることはできません。アメリカの思惑、アメリカの対日感情、避けられないアメリカとの関係とは何だったのか。フロンティアスピリットの裏側に潜む一面から、大東亜戦争の原因を探ってみましょう。

移民問題で生まれた摩擦

日本はアメリカに対して、良き師・良きパートナーという認識がありました。しかし、アメリカのほうでは発展めざましい日本に対して、やがて自分たちの地位を脅かす危険な存在、という見方をいつしか持つようになります。当時は、弱者を強者が支配できる帝国主義全盛の時代。「さきに潰さなければこちらがやられてしまう」という自覚は、弱肉強食ゲームに出遅れた日本よりも、西洋列強の一員であるアメリカのほうが敏感といえました。

アメリカのそのような警戒心と不信は、日本人が新天地をもとめてハワイへ渡航した明治初期の段階で、すでに芽生えていたのです。

中部太平洋に浮かぶハワイ諸島は、アメリカにとって政治的にも軍事的にも重要な拠点であり、いざ太平洋を越えて大軍を派遣する際は、ハワイの海軍基地が起点となります。アメリカがハワイを併合した1898年(明治31年)頃には、すでに多くの日本人労働者がハワイに移住し、原住民と共存していました。

礼儀正しく勤勉な日本人は、低賃金でもよく働いて現地住民の信頼を獲得します。ただし仕事と土地には限り、すでに定住していたアメリカ人と新参者である日本人移民との間で摩擦や対立も起こるようになります。

日本人移民を危険視する向きは、アメリカ国内でも加速。ニューヨークタイムズやワシントンポストなど大手新聞メディアは社説で「日本はハワイを狙っている」「大量に移民を送り込んで真珠湾に海軍基地を建設しようともくろんでいる」などさかんに煽り立て、“日本脅威論”がじわじわと浸透していきます。

明治維新後の日本は、急速な人口増問題に直面していました。限られた耕地面積では増え続ける人口に対応できないため、おのずと海外へ打って出るしかありません。日本人移民の増加は必要に迫られてのことであり、アメリカのメディアが主張するような謀略性や陰険な思惑はみじんもなかったのです。

もともとハワイは独立国家で、アメリカ人移民による軍事クーデターの結果、今日の「アメリカ領ハワイ」があります。「俺たちがそうだったから、お前も同じこと考えるだろう」と難癖を付けて潰しにかかるところは、アメリカの悪い癖というより、国家的病弊と呼べるものかもしれません。

アメリカの強い猜疑心に端を発した日本人移民問題は、やがてカリフォルニア州など西海岸に飛び火し、日本人移民に対する排撃運動へと発展。そのような状況下で起きたのが、1906年(明治39年)のサンフランシスコ大地震をきっかけとする『日本人学童隔離問題』です。

サンフランシスコ市は地震被害を口実に、日本人学童93人をさびしいへき地にある東洋人学校に転校させます。そこは荒れ果てた焦土にぽつんと建つ校舎で、周辺には人家ひとつないありさまでした。日本政府は駐米大使やサンフランシスコ領事を通じて、児童たちをもとの学舎に戻すよう抗議しました。

大統領政府と日本政府との間で話し合いが行われた結果、日本側が移住者を制限することを条件に、日本人学童は学校への復学を許されます。この一件は解決したものの、アメリカ国内で排日運動が収まることはなく、1913年(大正2年)にはカリフォルニア州で日本人の土地を取り上げる法律、いわゆる『排日土地法』が成立。その後も各州で同様の法律が制定されるようになり、結果的に日本人すべての移住が禁止となってしまうのです。

日本人移民の問題は、日米の確執を生んだ素因ではありますが、大東亜戦争を引き起こした直接的な原因とまでは言えません。このときはまだ日本人も冷静で、解決手段に戦争を選ぶほど対米感情が悪化することはありませんでした。

「もし日本領の台湾にアメリカ人が大量に移住して日本人の土地を奪ったら、日本人も同じように米国人を排斥するだろう」(『東洋経済新報』社説)という論調をみればわかるとおり、どちらかというと日本はアメリカを刺激しないよう低姿勢の構えで摩擦を避けようという動きでした。

おおむね日本はアメリカを友好国とみていました。ところが、相手は必ずしも自分たちを心から信用できる国とは思っていなかったのでしょう。その隔たりは、大東亜戦争がはじまるずっと前から存在したことを頭に入れておく必要があります。

中国利権をめぐって衝突

移民問題が横たわっていたとはいえ、戦争に発展するほど日米の関係が悪くなることはありませんでした。両国の関係がギクシャクしだすのは、満州鉄道の利権をめぐって対立するようになってからです。アメリカは、この一事をもって日本を明確に敵国とする戦略にシフトします。

薄氷を踏む思いでロシアとの戦争を制した日本は、難航が予想される和平交渉の仲介をアメリカに依頼しました。満州に約70万の兵力を抱えるロシアに対し、日本側は戦費も国力も底をつき、継戦能力はほぼゼロという状態で、なるべくよい条件で戦争を終わらせる必要があったのです。仲介役をかってでたアメリカのルーズベルト大統領は、「日本側は賠償金をもらわない。ロシアは樺太の南半分を日本に割譲する」という妥協案を提示。強硬だったロシアも矛を収めたことで、日本は救われました。

しかし、ただで第三国を救うほど国際政治の世界はお人よしではありません。アメリカはこのとき実業家ハリマンを通じて南満州鉄道の共同管理を申し出ます。「めでたく和平に導いてやったのだから、分け前をよこせ」というわけです。

日露戦争が終わったばかりで、とても一国のみで満州を経営するだけの予算はない。日本政府はこの提案を「わたりに船」と思い、桂太郎首相とハリマンの間で署名を交わします。ところがここで外務大臣の小村寿太郎が割って入り、強硬に異を唱えたのです。

「日露の戦役では我が国は八万八千もの兵士の尊い命が失われた。多くの血を流して獲得した権利を、なぜ他国に譲らねばならないのか」

ただでざえ賠償金を一銭も払わずロシアに妥協したうえ、多くの犠牲を出して獲得した大切な土地。それを一滴も血を流していないアメリカに分け前を与えるなど言語道断、と言いたかったのでしょう。小村の意見はやや感情的で、日米の関係性、アメリカ側の意図、中長期的な戦略を考えた場合、いささか短絡的とも思えます。結果、日本政府は小村案を選択してハリスの申し入れを断りました。ここからアメリカとの関係が急速に悪化するようになります。

アメリカはなぜ満州鉄道の権益に触手を伸ばしたか。その狙いは「中国マーケットの確保」という経済的野心にありました。

イギリスやフランス、ドイツなど列強による大陸進出が顕著となるのは19世紀後半からで、そのころアメリカはスペインとの戦争や南北戦争といった内憂外患を抱え、大陸進出まで手が出ない状況でした。このまま指をくわえているだけでは、人口4億の魅力的なマーケットは欧州や日本に独占されることになる。満州の共同管理提案、さらにのちのウィルソンが国際連盟で提唱した「大陸の門戸開放宣言」などは、アメリカの忸怩たる思いが反映されたものといえるでしょう。

日本にとっての大陸進出は、あくまで自存自衛の一手段であり、満州に防波堤を築くことでロシアの南下を防ぐという戦略上の狙いがありました。しかし、日本が自国防衛のために領土の拡張を進めれば進めるほど、アメリカの利害を侵食することになります。だからこそアメリカは、満州事変や上海事変、支那事変が起きた際、日本批判の急先鋒に立ち、日本が国際的に孤立するよう世界に向けてネガティブキャンペーンを働きかけたのでした。大国ロシアと対峙する東洋の小国に、救いの手を差し伸べたやさしきパイオニアの面影は、もはやどこにもありませんでした。

アジアに対してどこまでも無知・無理解なアメリカと、超大国の怜悧で非情な野心を見抜けなかった日本。両国の間に悲劇的なほど大きく横たわる溝が、やがて戦争という災厄を招くことになります。

「太平洋制覇」というアメリカの野望

一見するとアメリカは非情かつ自己中心的でエゴイズム一辺倒に動いているように見えますが、これらは緻密な論理としたたかな計算を企てたうえでの行動とみることができます。そしてアメリカは、徹底したリアリズムの国でもあるのです。

アメリカは建国以来、「マニフェストディスティニー」を理念に掲げ、いずれはイギリスにとってかわる世界の覇権国家を目指して国家建設にまい進してきました。その原動力となるのは「シーパワー」すなわち海軍力であり、太平洋・大西洋いずれからも勇躍出撃して戦闘行動に移せるだけの海軍力を持つことは、彼らの悲願でもありました。太平洋のはるか先に浮かぶ海洋国家が日本であり、広大な海を思うがままに支配するには、かの国を完全支配下に収めるか、それが叶わなければ民族まるごと消滅させるほかはありません。

日本を事実上の仮想敵国に位置付けていたことは、日露戦争が起こる七年前の1897年に策定された、対日戦争の作戦プラン「オレンジ計画」をみても明らかでしょう。これはセオドア=ルーズベルトが海軍次官時代、えりすぐりの海軍研究スタッフに命じて策定させたもので、日本陸海軍を撃滅させるための作戦計画が詳細に記されています。そのなかで「通商を破断して物資や資源、燃料の補給路を断てば、日本はたちまち孤立して戦争遂行は不可能となる」と日本が抱える致命的な弱点をものの見事に突いています。

改訂を繰り返して変遷を遂げたオレンジ計画は、何度も打ちつけられた鉄剣のように太く強力となり、対日戦争の時期が来るまで温存されます。太平洋戦争(大東亜戦争)勃発と同時に発動されると、戦況はオレンジ計画の内容通りに推移。日本のシーレーンは徹底的に破壊され、海軍は半身不随、陸軍は全身衰弱のような状態となるまで追い詰められ、やがて敗戦。オレンジ計画は、まさにそれ自体が日本の息の根をとめる最強兵器だったのです。

はるか太平洋の先に浮かぶ日本列島は、ヘゲモニーを掌握したいアメリカにとって障害以外の何ものでもありません。日本はアメリカの支配を望まなかったからこそ戦う決断をしたのであり、封建制を脱却して近代国家への脱皮を遂げた目的も、独立を守りたいという一念からくるものです。服従ではなく独立を選んだ日本が選んだ道は、超大国アメリカとの勝算なき直接対決でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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