大東亜戦争と太平洋戦争

大東亜戦争か、太平洋戦争かー。

人類がこれまで数えきれないほど体験した戦争には、必ず名前がついています。そのなかでも、日本とアメリカの間で行われた戦争は、「名称」を巡って長年の争いがあり、戦後70年以上経った今なお決着がついていません。日本におけるこの状況は、世界のどの戦史でも類例がないといえるでしょう。

いずれの名称にも、それが用いられた理由があり、時代的な背景が隠されています。それをひも解けば、いずれも重要な意味を持ち、残すべき呼称である、と筆者は考えます。

なぜ?「大東亜戦争」禁止の背景

日本人が戦った『大東亜戦争』という呼称は、戦後GHQが禁止指令を出したことにより、教科書から、メディアから、出版物から、あらゆる言論空間から“抹殺”されました。昭和20年12月15日、「連合国軍最高司令官総司令部参謀副官・民間情報教育部」の名で、日本政府に対し次のような覚書が出されています。

《公文書ニオイテ「大東亜戦争」、「八紘一宇」ナル用語ナイシソノ他ノ用語ニシテ日本語トシテノソノ意味ノ連想ガ国家神道、軍国主義、過激ナル国家主義ト切リ離シ得ザルモノハコレヲ使用スルコトヲ禁止スル》

「公文書ニオイテ」とあるにもかかわらず、検閲を恐れたマスコミ・出版社関係、言論人は大東亜戦争という呼称の使用を自粛するようになり、別の呼び名に取って代わられるようになります。

その呼び名とは、ご存じのとおり『太平洋戦争』です。

『大東亜戦争』使用禁止令が出される前、GHQは昭和20年12月8日から全国の新聞紙上で「日本国民に戦争の真実を知らせる」という名目の下、『太平洋戦争史』なる連載をスタートさせます。これは歴史叙述というよりあからさまなプロパガンダ工作を目的とする宣伝文書の類で、日本国民に軍部の残虐性と贖罪意識を植えつけさせるための『ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム』の一環でした。

この新聞連載の内容を音声化し、ほぼ同時並行で放送されたのが、NHKラジオ『真相はかうだ』です。この一連の宣伝工作によって、『太平洋戦争』という名称が日本国民の意識に浸透するとともに、『大東亜戦争』という言葉が忌避されるようになり、公の場で口にするのは許されない、という空気が醸成されていきました。

『太平洋戦争史』は、昭和21年3月と6月に刊行物として出版もされています。売上は10万部を記録したといわれますが、これほど売れたのは学校教材として教育現場が書籍を「買わされた」事実が大きいでしょう。現に昭和21年4月9日、GHQの意向を受けた文部省から各学校長あてに次ぎのような通牒が出されています。

《「太平洋戦争史」ハ(略)各学校ハソレゾレ購入ノ上国史等授業停止中ノ教材トシテ適宜利用セラルベキモノトス》

今なおパブリックネームとして定着している『太平洋戦争』、GHQの宣伝工作がいかに巧みで執拗であったかがうかがい知れます。

 

「太平洋戦争」という呼び名はあった

『太平洋戦争』を広めたのはGHQでも、その生みの親は日本自身です。対米開戦前から、米国との戦争を論評する文脈のなかで『太平洋戦争』という名が使用されていました。新聞紙上でも、日米戦争をさして『太平洋戦争』と呼んでいます。

日米が干戈を交えるならば、主戦場はおのずと太平洋になります。米国を念頭に艦隊決戦思想を鍛え上げてきた日本海軍は、アメリカ太平洋艦隊をマーシャル諸島のラインで封じ込める「邀撃作戦」を対米戦略の基本方針としていました。一般的に、戦争名というのは戦った国同士の地域呼称で統一されるもの。海軍が当時『太平洋戦争』を使用したとしても、そこに特別な含意があるとは思えません。

昭和16年12月8日、真珠湾攻撃とマレー作戦の断行を機に日本は連合国との戦争に突入、それにともない今次の戦争を『大東亜戦争』と呼称することが、12月10日の政府連絡会議にて決定されます。当時の大本営陸軍参謀で、会議にも顔を出していた種村佐孝少佐(当時)は『大本営機密日誌』のなかで、次のようなエピソードを書き記しています。

《…席上、海軍側から、太平洋戦争、対米戦争等の名称案が出されたが、これらの名称は支那事変を含めると適当でないし、また、好むと好まないにかかわらず、いつ対ソ戦争に発展するかわからないから、大東亜の新秩序を建設するという政治的意味をも加えて、大東亜戦争とすることに決定したものである》

このエピソードから分かることは、対米戦争を海軍主体で考えると『太平洋戦争』であり、政治思想や政治理念を持ち出して「大義名分」をかたちにしたい陸軍的思考でいえば『大東亜戦争』になる、ということです。このように、名称を巡っても海軍と陸軍の間で綱引きがあり、結果的に陸軍のごり押しが通って大東亜戦争になった、という側面も見ておく必要があります。

実はどちらも大切な呼称

「太平洋戦争はアメリカに押し付けられた名称であるため、日本人ならば大東亜戦争と呼ぶべきである」というのが、『大東亜戦争』を支持する人たちの主だった主張です。戦争当時は『大東亜戦争』が使われていましたし、日本人が戦争をはじめた理由も、この名称に隠されています。その時代に生まれた名称や思想を抹殺する行為はすなわち歴史を消す行為であり、それによって正しい検証も不可能となるでしょう。そうした観点からも『大東亜戦争』を残すことには大きな意義があり、ついでに言わせれば筆者も『大東亜戦争』を積極的に使うべきとする立場です。

一方で、史実をみれば戦前から『太平洋戦争』という名称は存在し、政府関係者の間や軍部、メディアなどで使用されてきた経緯は無視できません。とくに海軍関係者は太平洋のど真ん中で米軍とぶつかった体験上、自然と『太平洋戦争』と口にする向きがあるようです。戦後出版された彼らの著書などをみても、屈託なく『太平洋戦争』が使われています。

忘れてはならないのは、日本を打ち負かした国は連合国というより米国であり、その場は太平洋だったという厳然たる事実。「ミッドウェー海戦」「ソロモン沖海戦」「ブーゲンビル島沖海戦」「マリアナ沖海戦」「サイパン・パラオ・硫黄島の戦い」など、敗戦の決定的な理由を作った重要な戦いは、いずれも太平洋上で起きているのです。

「日本が負けた理由」を考えるとき、『太平洋戦争』という視点をもつことは、それなりに重要だといえるのではないでしょうか。

対して『大東亜戦争』は、「日本が戦争をはじめた理由」をひも解くうえで、欠かせないキーワードです。対米決戦に至った事情は複雑で、理由も一言で言いきれるほど単純ではないものの、「大東亜共栄圏(東アジア地域を主体とする経済圏を日本主導で打ち立て、欧米に対抗して民族の共存と生存を図る)」の樹立を自衛手段とする構想があったのは、明白な史実であり、それを抜きに祖先が戦った戦争は語れません。

いずれの呼称を用いる場合も、民族主義や感情論、道徳論を超えた視座が重要であり、歴史の裏側で隠れていた部分もみえやすくなります。

 

 

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