フィリピン作戦4|第二次バターン半島攻撃・コレヒドール陥落

神武天皇祭が執り行われる4月3日。帝国軍人としては身の引き締まる奉祀日、バターン総攻撃は開始された。

 

まずは、東西の海岸を結ぶ防衛ラインを切断し、その後方にそびえるサマット山を抜いて米軍の第一線陣地を叩くというのが目下の任務である。

 

前衛部隊の突撃に先駆けて先制弾を打ち込んだのは、大陸戦線から転用された重砲兵部隊であった。

 

密林に潜む敵陣地めがけて、大規模な砲弾攻撃を浴びせる。数百門におよぶ砲口から次々に放たれる砲弾が、樹木ごと敵兵を吹き飛ばした。地軸を揺るがすような轟音が響きわたり、周囲は砂塵と砲煙に包まれた。

 

空からの援護射撃も加わった。リマイ上空に飛来した陸軍飛行部隊が重爆撃を敢行、進撃路をこじ開ける。

 

もうもうたる白煙に浮かび上がる黒い影は、白刃を振りかざした歩兵部隊である。甲高い突撃ラッパとともに、怒涛の斬り込みがはじまった。

 

敵は鉄条網の奥から一斉射撃を浴びせるも、厚みを増した日本軍の突進を食い止めることはできない。果敢に銃弾の真下をかいくぐり、次々に首級を上げていく。わずかの間で戦場は米比兵の墓場と化した。

 

前回の第一回バターン半島攻撃中止から2カ月。この間、日本軍は大陸戦線から兵団を引き抜いて大幅に兵力を増強したうえ、バターンの特殊な地形でも闊達に動けるよう、激しい特訓を行った。その成果がこの攻撃においていかんなく発揮されたといえよう。

 

突撃に先駆け、部隊の一部を西側へ向けて敵の動揺を誘う陽攻作戦も効果てきめんであった。敵兵力の一部が西海岸のほうへ移動したことで、前進部隊の攻撃が容易となったのである。

 

敵の出鼻を挫いた日本軍は、夕刻になっても攻撃の手を緩めず、軍伝統の夜襲を積極的に試み、敵本部の虚を突く。敵は重装甲車を備えるなど高度に機械化された部隊だったが、疾風のような日本軍の攻撃を前に士気は阻喪、白旗を上げて投降する者が続出した。

 

中には、部隊長の呼びかけに応じて武器を捨てた八百あまりの一団が一挙に山を下りた例も見られた。それでもまだサマット山には堅固な敵陣地が残されており、闇に紛れた逃亡兵の存在も危ぶまれた。

 

サマット山の占領を成し遂げるには、背後に控える重砲陣地を攻略し、かつ山頂を制圧下に収めなければならない。重砲陣地への攻撃は、空からの重爆撃で攻略可能だが、樹海に浮かぶ屋根の制圧は地上からの砲弾も空からの援護もあてにできず、捨て身の肉弾攻撃が唯一の手段といえた。

 

山頂は敵陣地における最後の砦だけに、攻撃の手も分厚い。

 

谷間から山肌にかけて重火器を広範に並べ、竹藪のかげにも狙撃兵を配置して強固な迎撃態勢を敷いていた。

 

日本軍の歩兵が喊声をとどろかせて躍りかかれば、四方八方から銃弾が飛んでくる。その攻撃は執拗を極め、なおかつ命中精度も高い。

 

先頭切って飛び込んだ部隊長らが命を落とす中、兵士が屍を踏み越えて銃弾の嵐を突き抜けていく。一歩後退しながらも二歩前進を繰り返し、着実に敵の拠点を落としていった。

 

そのうち米比兵の中には火器を捨てて逃亡する者も現れた。敵軍が去り、持抜けの殻となった山頂には日章旗がへんぽんと翻るも、こちら側の犠牲も小さくなかった。

 

サマット山を攻略し、残る要塞はいよいよリマイ山とマリベス山である。ここを突き破れば、米比軍を完全に土俵際まで押しやれる。それには、まずリマイ山北方のガボット台と呼ばれる四つの砲台を攻略しなければならない。

 

威嚇するように砲口を突き出す巨大な砲門。高台の急斜面には、機関銃座が不気味な黒光りをたたえながら威圧を加えている。ここでも生身を盾にした突進が求められた。

 

わが身を捨てる肉弾戦法は、部隊長から末端の歩兵まですべからく平等に敢行された。

 

突撃は、第一回、第二回、第三回と続けられた。それでも敵の攻撃は鋭く、防御は分厚い。兵士たちの屍が増える中、ガボット台の左から右から、一斉に白刃部隊が斬り込み、台上を占拠した。

 

進撃の盾となった多くの歩兵の中に、三上部隊井上二等兵もいた。勇敢で信念の強い二等兵は、腰部に重傷を負いつつ、三上部隊長の肩を借りて台上へと駆け上がっていった。

 

「見ろ井上、突撃は成功したぞ」三上部隊長がそういうと、井上二等兵は何か口ずさんだあと、静かに部隊長の腕の中で息を引き取った。

 

ガボット台の攻略によって、リマイ山への進撃路は大きく開かれた。

 

敵の抵抗は依然続くも、日本軍の圧迫を前に攻撃の手は次第に鈍り始め、武器や戦車を置いて逃亡する者、素直に白旗を上げて降伏する者が続出する。米兵もいればフィリピン兵もいた。

 

ついにリマイを陥落、マリベス山腹陣地まで前進すると米比軍の間で動揺はますます広がり、東岸部隊のキング少将すらも投降を申し出て捕虜となる事態となった。

 

マリベス山から、投降兵が続々と降りてきた。山裾から国道、焼け野原と化した街の角まで、米比兵であふれかえった。マリベス市街は捕虜で埋め尽くされ、その群れは半島最南端のマリベス港にまでおよんだ。

 

マリベス港から指呼の距離に、敵の司令部が置かれるコレヒドール島が浮かぶ。要塞は日本陸軍の爆撃を受けて半壊、敵将マッカーサーはすでにオーストラリアへと落ちのびていた。

 

バターン総攻撃は、米軍の降伏によって4月11日に完了する。フィリピン作戦が始動して半年弱、第十四軍にとってあまりに長い道のりであった。

 

 

 

 

 

 

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