マレー作戦3|海軍航空部隊、英東洋艦隊を撃破~マレー沖海戦

南方作戦の趨勢を決めるマレー上陸作戦は、帝国陸海軍の息の合う作戦行動によって成功に終わる。コタバル、シンゴラ、ペタニーなどの重要拠点を確保し、いざ向かうは、イギリス東洋支配の牙城・シンガポール要塞。

快進撃を続ける日本軍の前に立ちふさがったのは、イギリス最新鋭戦艦の『プリンス・オブ・ウェールズ』と『レパルス』であった。

マレー英軍の兵力

用意周到に作戦準備を進め、満を辞して白人支配地域に殴り込みをかけてきた日本軍に対し、マレー半島のイギリス軍は極めて貧弱だった

英領マレーにはイギリス軍19,600人、オーストラリア第八師団15,200人、インド第三軍37,000人、マレー義勇軍16,800人の総勢88,600人という一団ながら、装備も旧式、部隊の練度も低く、現地軍の混成部隊ゆえに士気の低さは明白であった。

また航空兵力のほうも頼りなく、戦闘機60機はいずれも米国製の旧式バッファローで、急降下爆撃機も重爆撃機も、さらには偵察機も輸送機もない有り様である。これで日本の零戦や隼と渡り合おうと考えていたとしたら、英軍の情勢判断はよほど狂っていたか、あるいは日本軍を甘く見過ぎていたのだろう。

結果的には、英空軍は日本の航空部隊に手も足も出ず、開戦わずか二日目にしてマレー北部の制空権を失い、航空兵力の大半を撃滅させられてしまう。

最新鋭戦艦『プリンス・オブ・ウェールズ』と『レパルス』

マレー英軍の役割は、英国東洋支配のシンボルである巨大要塞・シンガポールの守備であった。日米交渉が決裂すれば、日本軍は真っ先に南方を取るため軍を動かし、その過程でシンガポールへの来攻も予想された。しかし、日本軍にシンガポールを短期間で落とす実力はなく、英本国から艦隊が来援してくるまでの数か月間持ちこたえることができればそれで十分、という空気が英軍内で支配的だった。

そして、「日本軍に対しては、主力戦艦数隻をシンガポール沖に浮かべて威圧を加えるだけでよい」という、英首相チャーチルの意向で派遣されたのが、戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」並びに巡洋艦「レパルス」の二隻だった。

プリンス・オブ・ウェールズは、長さ739フィート、排水量35,000トン、速力30ノット以上、主砲36センチ砲10門を搭載するマンモス戦艦で、対空砲火力は極めて強力、そのうえ25連装の高射機銃3、20連装1、その他1kg弾丸を毎分800発以上発射できる8連装対空砲四門を装備。これらすべてを同時発射すれば毎分60,000発の弾丸を射撃できる能力を有するなど、あらゆる面で当時の最先端を走るイギリスの最強兵器である。

巡洋戦艦レパルスのポテンシャルも相当なもので、排水量32,000トン、長さ794フィート、45センチ砲6門、魚雷発射管8、速力は29ノットを誇り機動力も抜群。巡洋戦艦としてはこちらも超一級品だ。

12月8日18頃、英海軍東洋艦隊司令長官フィリップス中将はマレー北部に侵攻した日本軍を撃滅すべく、戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」と巡洋戦艦「レパルス」他駆逐艦4隻に出撃を命じた。

マレー沖海戦

<第22航空戦隊編成区分>

部隊名 機種
元山海軍航空隊 九十六陸攻25機
美幌海軍航空隊 九十六陸攻33機
鹿屋海軍航空隊 一式陸攻26機

戦闘前の動静

12月9日、15時15分、マレー半島東方沖を哨戒中の伊65潜水艦から「敵レパルス戦艦二隻見ゆ」との報告が日本海軍へ届けられる。この報告に基づき、雷撃機が出撃するも、悪天候のため発見には至らなかった。上陸部隊を支援する南遣艦隊司令長官・小沢千三郎中将もこの報を受け、艦隊を会敵予想地点へ向け変針させた。しかし、こちらも天候不良と夜間という悪環境が災いし、敵の動静も明確につかめないままこの日の決戦は見送られることになる。

ちょうどその頃、フィリップ司令官はすでに日本軍は上陸を果たした後で、急襲の機会は失われたため、日本艦隊攻撃の企図を断念し、シンガポールへ変針して南進を開始したところだった。

翌10日1時30分ごろ、「日本軍がクワンタンに上陸を開始した」という報告を受けたフィリップ司令官は、ただちにクワンタンに向かって西へ針路を変えるよう指示を出す。しかし、クワンタンの海岸まで近づいたところで日本軍上陸は誤報であることが分かり、再び南進を開始した。

第一航空部隊司令官・松永貞市少将は、敵艦隊の位置情報が掴めないまま、10日早朝に攻撃隊と偵察隊を出動させる。偵察機は英艦隊を捜索、攻撃部隊はいつでも戦闘ができるよう、上空待機でそのときを待った。

美幌・元山・鹿屋各部隊、一斉突入

11時45分、偵察機がクワンタン沖を航行する英艦隊を発見。報告を受けた攻撃隊はただちに現場上空へ急行、大きな船影を作り出した巨大な戦艦が二隻、視界に入ってきた。

攻撃隊は躊躇なく世界最強の巨大戦艦二隻に挑みかかる。

最初の一撃を放ったのは、美幌航空隊第1中隊の九六陸攻8機だ。12時45分、高度3,000mから水平爆撃を開始。レパルスに250kg爆弾が第四砲塔に命中、爆破炎上を起こし、一瞬にして巨大な爆煙が艦体を包み込んだ。

その後を受け、今度は元山航空隊の九六陸攻17機が攻撃を開始。猛烈な対空砲火で反撃するプリンス・オブ・ウェールズに向かって突っ込み、魚雷2本、そしてレパルスへ魚雷3本を撃ち放つ。

13時30分、遅れて到着した美幌航空隊第4中隊の九六陸攻8機がレパルスめがけて雷撃を放ち、魚雷3本がその船腹を貫通した。レパルスは必死に回避を試みるが、その船足は明らかに鈍化していた。

13時50分、殺到してきた鹿屋航空隊の一式陸攻26機が、レパルスにトドメを刺す。魚雷7本を次々に打ち込まれた同艦は、大きく横に傾いて沈下を始め、14時20分、なすすべもなく沈没した。

鹿屋一式陸攻の容赦ない雷撃は、プリンス・オブ・ウェールズにも向けられ、魚雷5本が命中。そして、美幌航空隊第2中隊の九六陸攻8機が続けざまに爆撃を開始。500kg爆弾2発が命中した。一方的に空からの攻撃を浴び続ける巨体は、静かに船腹を海に沈めていった。

独戦艦ビスマルク追撃戦で輝かしい戦果を挙げた英国の至宝・プリンス・オブ・ウェールズは、14時50分、東洋の海に没した。乗員3,000名のうち、2,000名は駆逐艦に救助されるも、提督フィリップスは幕僚たちが退艦を促すのも聞かず、プリンス・オブ・ウェールズと運命を共にする道を選んだ。

『英公刊戦史』は、マレー沖海戦について、次のように述べている。

日本海軍機は、サイゴンの基地から650kmも離れた海上で二隻の主力艦を撃沈したのである。このことは、戦史上、いまだかつて航空部隊が達成したことのない偉業であり、しかも日本側の損害はわずかに三機であった。二隻の巨大戦艦の損失はイギリス国民の意気を消沈させた。マレーの英軍は東洋艦隊があれば万事上手くいくと信じていただけに、そのショックは大きかった。

また、『第二次大戦回顧録』で見る、そのときのチャーチルの心境。

10日の日に私が書類箱をあけているとベッドの電話が鳴った。それは軍令部長だった。彼の声は変であった。咳をしているようでもあり、こみ上げてくるものを押さえているようでもあり、はじめは何を言っているのか聞き取れなかった。「総理、プリンス・オブ・ウェールズとレパルスが両方とも日本軍に――飛行機だと思います――沈められたことを報告しなければなりません。トム・フィリップスは戦死しました」「間違いないかね」「全く疑いの余地はありません」それで私は受話器を置いた。私はひとりきりであったことがありがたかった。戦争の全期間を通して、私はこれ以上のショックを受けたことはなかった。

マレー沖海戦でイギリス側が主力艦二隻を失ったのに対し、日本側の損害は三機、戦死者二十一名にとどまった。海戦史上類を見ない、航空攻撃による戦艦の沈没は世界の海軍関係者に衝撃を与えた。

マレー沖海戦と真珠湾攻撃。このふたつの戦いで、航空機の優位性が明らかとなり、海戦の主役だった巨大戦艦が前近代の遺物に成り下がったことが証明された。しかし、その重要性を認識したのは勝利した日本ではなく、皮肉にも打ち負かされた米英のほうだった。

 

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