マレー作戦2|シンゴラ、ペタニー上陸!各飛行場を占領

第二十五軍司令官・山下奉文中将が上陸を果たした地はタイ領のシンゴラでした。こちらの部隊はシンガポールまで運行する機関車を確保するとともに、国境警備隊が守るジットラ陣地の突破を任務とし、一気呵成にシンガポールまで攻め下る迅速性が求められました。

上陸部隊の勇猛果敢な突撃ぶりもあっぱれながら、上空掩護を司る航空部隊の戦闘能力の高さも目を見張るものがありました。

 山下司令官、シンゴラ上陸

山下奉文・第二十五軍司令官や松井太久郎第五師団長らを乗せた龍驤丸・香椎丸以下輸送船団九隻は、十二月八日〇〇時三五分、シンゴラ泊地に進入成功。シンゴラ市街の煌々とした夜あかりも望見される中、上陸に向けて準備作業を開始しました。

しかし、コタバル方面同様、こちらの海面も天候不良のため不安定で、高波とスコールに見舞われる中の作業は困難を極めました。三時三十六分、ようやく出発信号を示す白燈が香椎丸のマストに掲げられ、各舟艇は打ち返す波を砕きながら上陸地点に向かって突き進みました。

河村部隊、シンゴラ飛行場を占領

「達着地点は巻波二mを下らず、舟艇は本船に激突して(移乗・荷下ろしのための)接舷困難で、部隊の舟艇移乗は困難を極め、一舟艇移乗完了におおむね五〇分かかった…材料を積載した舟艇のごときは、波浪のため浸水し本船への回避不能のもの続出し、火砲、車両の達着はほとんど不可能である。舟艇達着時、敵の抵抗はなかったが、風浪のため各舟艇は分散し、達着地付近の部隊は著しく相混交するに至った」(歩兵第一一連隊第ニ大隊の戦闘詳報)

強風と高波が海面を大いに揺らす中、各部隊を乗せた船はシンゴラ海岸に着岸。所定の地点に上陸を果たします。山下軍司令官も第二上陸部隊とともにシンゴラに降り立ちました。

シンゴラ上陸作戦の主力である河村部隊は、上陸後迅速に兵を移動し、シンゴラ市内の各要所、並びに埠頭施設を占領。歩兵第四一連隊の一部をもってホーン山ふもとのタイ国軍兵営(二個大隊約七〇〇名)に攻撃を加えるとともに、シンゴラ飛行場を占領して飛行機三機の鹵獲に成功しました。

日本政府は、タイ国進駐にあたり、在バンコク日本大使館を通して本国政府と領土内通行を目的とする交渉を予定しましたが、ピブン首相失踪という思わぬトラブルに見舞われたこともあり、やむなく武力を発動してタイ国軍との交戦に至ります。日本軍の攻撃開始後、ピブン首相の所在がようやく掴め、ただちに交渉を開始して日本軍の通過を求め、タイ国の了承を得ました。

イギリス軍部隊との戦闘

シンゴラ西南の都市・ハヂャイは、シンガポールと鉄道一本で結ばれ、交通の要衝として極めて重要な場所でした。シンガポールへ電撃的に進軍を果たすには、大量物資の輸送を可能とする鉄道路線の確保は日本軍にとって是が非でも成し遂げなければならないミッションでした。

上陸を果たした佐伯部隊は、一路自転車でハヂャイへ向け進軍。タイ国軍の射撃にも屈せずばく進を続け、十四時頃ハヂャイ進入を果たします。開戦と同時に収監されていた日本人を釈放するとともに、バンコク、シンガポール行きの鉄道を押収しました。機関車や客車、自動車なども収奪し、押収品は鉄道車両を中心にニ〇〇点以上に及びました。

イギリス軍が北上中という情報を入手した佐伯部隊は、ハヂャイに陣地を構えて迎え撃つ態勢を整備。敵は装甲車部隊で構成されたの機械化部隊で、装備面で劣ると判断した佐伯隊長は一転、奇襲作戦でこちらから攻勢を仕掛ける作戦に切り替えます。

その日の夜、佐伯部隊はハヂャイ南方のサダオまで南下してイギリス軍を急襲、潰走させました。ハヂャイからサダオにかけた交通の要衝はこれによって日本軍の手に落ちました。

パタニー、タペーも上陸成功

歩兵第四二連隊基幹の安藤支隊は、支那事変で功を上げた精強部隊です。シンゴラとコタバルの中間あたりに位置するパタニーおよびタペーへの上陸任務を帯びていました。シンゴラ船団から分かれた安藤支隊(歩兵第四二連隊基幹)は、さらにパタニー上陸部隊、タペー上陸部隊に分進し、どちらも敵の抵抗を受けることなく四時三〇頃、無血上陸を果たします。

パタニーへ通じる道は、数日来のスコールの影響であちこちに深い水たまりができて、進軍には難渋を極めました。泥沼の途をようやく踏破し、パタニー市街地へ続く本道に出た安藤支隊でしたが、突然、周囲のしげみの影から敵の機銃掃射に襲われました。

支隊を待ちかまえて攻撃してきたのはイギリス軍ではなく、現地タイ軍でした。安藤隊長以下、歩兵連隊の兵士たちは敵の攻撃を受けながらも必死に防戦しますが、敵に包囲され退路を断たれる状況下に。しかし、後から上陸を果たした第二大隊と第一大隊が加わったことで、形勢は逆転。不利と見たタイ軍はあっさり白旗を挙げて降伏しました。日本側はこの戦闘で死傷者四五名の被害を出したものの、作戦目的であったパタニー飛行場の占領には無事成功しました。

また、タペー上陸を果たした第三大隊も、歩行困難な地形を何とか克服し、一九〇〇頃、タペー飛行場を押さえています。

陸海軍航空部隊の活躍

上陸部隊を上空掩護する陸軍の第三飛行集団は、八日未明、仏印プノンペン飛行場から発進。予定通り作戦行動を開始し、コタバル南のタナメラ、東岸沿いのクワラペスト、さらには西岸沿いに位置するアロルスターなどの各飛行場を爆撃。飛来してきた英空軍と航空戦を繰り広げ、その大半を撃墜しました。

シンゴラ、パタニー各飛行場は、上陸部隊によって速やかに占領されたため、その後は第三飛行集団の航空拠点として活用されることになります。

開戦二日間の激闘で、陸軍航空部隊はマレー英空軍の三分の一を撃滅。北部マレーの制空権は完全に日本の手中に収まりました。

海軍の第二十二航空戦隊は、八日未明、仏印プノンペン飛行場から長躯シンガポールの軍事施設に爆撃を加え、翌九日もクワンタン飛行場に連続攻撃。英空軍の出鼻を挫きました。

日本海軍航空部隊がかねてよりその動静に注目したのは、他ならぬ英国が誇る世界最新鋭の主力戦艦・プリンス・オブ・ウェールズと巡洋戦艦・レパルスでした。

十二月十日、両戦艦の駆逐を目的とする第二十二航空戦隊が勇躍、シンガポール沖を目指します。十一時四十五分、クワンタン沖を航行するイギリス艦隊を発見。海軍航空部隊はその総力を挙げてプリンス・オブ・ウェールズとレパルスに襲い掛かりました。世界海戦史に名を残したマレー沖海戦のはじまりです。

 

 

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