ハワイ作戦1|航空攻撃部隊350機、真珠湾へ

昭和16年12月7日(ハワイ時間)、真珠湾。この日、西太平洋上空を席巻した海の荒鷲たちは、間違いなく世界最強の航空精鋭部隊でした。

大東亜戦争における日本軍の戦いの中でも、これほど用意周到に作戦計画が準備され、意図した通りに行動が進み、なおかつ攻撃精度も完成の域に近かったのは、後にも先にもこのハワイ作戦のみといえるでしょう。

※表記時間はいずれも現地ハワイ標準

空襲部隊、出陣

「敵艦隊、ラハイナ在伯に在らず」

機動部隊より一足先に真珠湾に近接した先遣艦隊(第六艦隊)第三潜水部隊の伊七十一および伊七十二の二艦からの発信電を機動部隊司令部が受電したのは、12月6日午後5時半くらいでした。ラハイナはオアフ島南東にあるマウイ島の港町で、整備を目的にアメリカ艦隊が停泊することも少なくありません。

機動部隊にとって、敵艦隊が真珠湾かラハイナか、どちらに碇泊しているかを事前に把握することは極めて重要であり、その違いによって作戦行動も大きく左右されます。

機動部隊司令部は、先遣部隊の偵察や、哨戒機からの情報、東京からの敵情通報、そしてホノルルのラジオ放送などから入手した情報を総合し、次のような敵情判断を下しました。

米軍は現在のところ、広範囲の飛行哨戒は行っていない。ホノルルは静かで灯火管制を実施しておらず、阻塞気球(航空機の攻撃を妨害するための気球)も使っていないところを見ると、我が方の秘匿は依然守られている。

レキシントン、エンタープライズの航空母艦二隻および重巡十隻は演練のため湾外にあり、所在は不明

そして、真珠湾には次の敵戦力が在伯中と判断しました。

  • 戦艦9隻(アリゾナ・ネバダ・ペンシルバニア・テネシー・カリフォルニア・オクラホマ・ウエストバージニア・メリーランド・ユタ)
  • 軽巡3隻
  • 駆逐艦19隻
  • 水上機母艦3隻

オアフ島の航空基地に所在する航空兵力は次の通りです。

航空基地 機種 機数
フォード/カネオヘ 飛行艇 110
艦上機 約10
ヒッカム 陸軍爆撃機 150(内4発40)
ホイラー 戦闘機 200
べロース その他 30
合計 約500

発艦が迫った夜明け前、海はしけて波高く、強い風の中での離艦が危ぶまれたものの、艦上に並ぶパイロットたちの中でしり込みする者はいませんでした。

攻撃隊の総指揮官である淵田美津雄中佐が搭乗機へ向かうと、そこで待っていた飛行隊の先任整備下士官が白色の鉢巻きを手渡して言いました。

「これは赤城の整備員たちからの贈り物です。みんなの気持ちが込められていますので、こいつを身につけて真珠湾に向かってください」

淵田中佐は、大きくうなずいて鉢巻きを飛行帽の上から結び、指揮官機に乗り込みました。

午前6時5分、旗艦赤城の制空隊・板谷茂少佐の発鑑を皮切りに、第一次攻撃隊の艦攻・艦爆・艦戦計183機が、わずか15分の間で続々と大空へ飛び上がっていきました。

それから1時間もしない午前7時15分、第二次攻撃隊の発艦がスタートし、旗艦「赤城」の制空隊長・進藤三郎大尉以下35機の零戦が飛び立ち、翔鶴・瑞鶴から島崎重和少佐率いる水平爆撃隊が、赤城、蒼龍、加賀、飛龍からは江草隆繁少佐率いる急降下爆撃隊が発鑑。エンジン故障のため艦にとどまった一機を除いて、第二波のパイロットたちの出陣も完了しました。

第一次攻撃隊「我攻撃に成功す、効果甚大」

第一次攻撃隊の編成表

回次

指揮

攻撃区分 集団指揮 攻撃隊 攻撃隊指揮官 所属母艦 機種 機数
淵田美津雄

中佐

水平爆撃隊 淵田美津雄

中佐

第一攻撃隊 淵田美津雄

中佐

赤城 九十七式艦攻 15 49  183
第二攻撃隊 橋口喬

少佐

加賀  14
第三攻撃隊 阿部平次郎

大尉

蒼龍 10
第四攻撃隊 楠見正

少佐

飛龍 10
雷撃隊 村田重治

少佐

 特第一攻撃隊  村田重治

少佐

赤城  12 40
 特第二攻撃隊 北島一良

大尉

加賀  12
 特第三攻撃隊  長井彊

大尉

蒼龍  8
特第四攻撃隊 松村平太

大尉

飛龍 8
急降下爆撃隊 高橋赫一

少佐

 第十五攻撃隊 高橋赫一

少佐

翔鶴   九十九式艦爆  26 51
 第十六攻撃隊  坂本明

大尉

 瑞鶴  25
制空隊 板谷茂

少佐

 第一制空隊 板谷茂

少佐

赤城      零式艦戦  9 43
 第二制空隊  志賀淑雄

大尉

 加賀  9
第三制空隊 菅波正治

大尉

蒼龍 8
 第四制空隊  岡嶋清熊

大尉

飛龍 6
第五制空隊 佐藤正夫

大尉

瑞鶴 6
第六制空隊 兼子正

大尉

翔鶴 5

「オアフ島の天候は晴れときどき曇り、山上空は雲が多いものの、雲の高さは三千五百フィート(約一千m)、視界良好で、風は穏やか」

赤城の甲板から飛び立って約1時間30分、飛行総隊長の淵田美津雄中佐は、電波をキャッチしたホノルル放送からの気象情報を聞いたとき、「しめた」と思わず叫びました。オアフ島上空の雲は切れている――。作戦を成功へと導く条件が、またひとつ加わったのです。

天気予報を裏付けるように、広がる雲海の中から一筋の切れ目が見つかり、そこから白い波打ち際の線を描いた島影が浮かんでいるのが見えました。アメリカ軍の航空基地および母艦寄港地が点在する、太平洋最大の要塞・真珠湾です。

航空攻撃の総指揮官・淵田中佐は胸の中で沸き起こる興奮を押さえながら、冷静にオアフ島周辺の状況や艦艇の動きを観察しました。

空襲部隊は攻撃パターンとして、「奇襲」と「強襲」のふたつのプランを用意していました。すなわち、敵がこちらの存在に気付かず奇襲で攻め込める場合は、雷撃隊が先陣を切って魚雷を打ち込む。そのときの合図は、号砲1発。敵の反攻が予想される状況であれば、急降下爆撃隊が先制弾を放って雷撃隊の援護射撃に回る。そのときの合図は号砲2発。「敵は気づいていない。奇襲攻撃だ」。そう判断した淵田中佐は、後ろに控える180機の攻撃隊に向け、奇襲攻撃の展開下令を示す号砲を一発、放ちました。時間は、午前7時40分――。

ところが、号砲の合図に反応したのは雷撃隊と急降下爆撃隊のみで、なぜか真っ先に展開しなければならない制空隊の動きが認められません。雲に隠れて号砲を見落としたと思った淵田中佐は、制空隊の方向へ向けてもう一発、信号拳銃を発砲します。ようやく制空隊が反応するも、二発目の発砲を強襲と判断した高橋赫一・急降下爆撃隊長が雷撃隊より先に突入を開始。7時55分、真珠湾攻撃は急降下爆撃機の放った250kg爆弾によって幕を開けました。

攻撃の総指揮を執る淵田中佐は、「全軍突撃せよ」を示す「ト連送」を柱島に停泊する連合艦隊の司令部へ向け発信します。続いて、電信員に「トラトラトラ」(我奇襲に成功せり)と発信するよう指示をしました。敵の対空砲火もないなか、飛行集団の腕を考えれば奇襲は間違いなく成功する――。そう踏んだ淵田中佐の手早い電報により、真珠湾攻撃の一報は瞬く間に東京の大本営、広島の連合艦隊司令、さらにはマレーやボルネオ、上海、グァムといった各方面の司令部に行きわたりました。

出遅れた雷撃隊隊長の村田少佐は、艦爆攻撃による爆煙で視界不良となるのを危惧し、オアフ島の内側を回るルートへ変針します。7時57分、雷撃隊の攻撃が始まりました。

雷撃パイロットたちが血みどろの訓練で生み出した浅海面魚雷殺法が火を噴き、真珠湾は大きな水柱ともうもうたる爆煙に包まれました。発射魚雷はほとんどが命中、訓練時よりパイロットたちの腕は冴えていたほどです。この攻撃によって戦艦「オクラホマ」「ウェストヴァージニア」「カリフォルニア」が撃沈されました。

「我雷撃に成功せり、効果甚大」予想を上回る戦果を挙げた雷撃隊からの電報に、旗艦赤城の司令部たちが歓喜したのは言うまでもありません。

最初の一弾を放った急降下爆撃隊は、フォード、ヒッカム両飛行場を集中攻撃。こちらも思った以上の戦果を上げ、「我爆撃に成功せり、効果甚大」と電報を打ちました。

8時4分、雷撃隊の攻撃終了を見届けた淵田中佐直卒の水平爆撃隊は、雷撃損害のない戦艦に狙いを定め、攻撃を開始します。真珠湾上空だけ晴れていた幸運もあり、高度3,000メートルから落下した800kg徹甲爆弾は高い命中率で敵戦艦を直撃。この攻撃で戦艦「メリーランド」および「テネシー」は中破、「アリゾナ」に関しては爆弾が火薬庫に届いて誘爆を起こし、大爆発の炎と煙を噴き上げながら海底に沈んでいきました。

敵の反撃に備えて上空掩護する制空隊は、攻めあがってきた米戦闘機四機を一瞬にして撃墜。真珠湾上空に敵機の姿は認めなくなり、航空基地の駐機に照準を当て、攻撃を加えました。

燃え盛る戦艦に、スクラップと化した基地戦闘機。地上兵は逃げ惑い、あちこちで救援や看護を求める声が響き渡りました。日本軍が傍受した米軍の無線音声からは、指揮官たちの狼狽する姿が手に取るように伝わるほどでした。

「雲の間から見下ろすオアフ島は、青々とした海に囲まれ、緑の島は息をのむような美しさだった。ここを攻撃するのかと思うと、何だか惜しい気がした」。空母「飛龍」雷撃隊員・橋本敏男中尉の言葉ですが、その美しい島は日本海軍のハリケーンのような攻撃で無残な姿に一変しました。

第二次攻撃隊、着実に戦果を拡大

第二次攻撃隊の編成表

回次指揮 攻撃区分 集団指揮 攻撃隊 攻撃隊指揮官 所属母艦 機種 機数
島崎重和

少佐

水平爆撃隊 島崎重和

少佐

第六攻撃隊 島崎重和

少佐

瑞鶴 九十七式艦攻 27 54 167
第五攻撃隊 市原辰雄

大尉

翔鶴  27
  急降下爆撃隊   江草隆繁

少佐

第十三攻撃隊 江草隆繁

少佐

蒼龍 九十九式艦爆 17 78
第十四攻撃隊 小林道雄

大尉

飛龍 17
 第十一攻撃隊  千早猛彦

大尉

赤城  18
 第十二攻撃隊 牧野三郎

大尉

加賀  26
  制空隊   進藤三郎

大尉

 

第一制空隊

 進藤三郎

大尉

赤城     零式艦戦  9 35
第二制空隊 二階堂易

大尉

加賀 9
 第三制空隊 飯田房太

大尉

蒼龍  9
第四制空隊 熊野澄夫

大尉

飛龍 8

第二次攻撃は、第一次攻撃隊を入れ替わりに真珠湾カフク岬に到着し、攻撃を開始しました。

第二次攻撃隊を指揮する島崎重和少佐は、オアフ島カフク岬上空に参集後、午前8時54分に突撃命令を下します。

その頃はすでに、第一次攻撃隊の猛撃によって湾内は爆炎と黒煙の渦と化し、敵艦船の視認と目標確認は極めて困難でした。

島崎少佐直卒の水平爆撃隊はやむなく、高度を1,500mという低高度から爆弾投下を試みます。相手も反撃態勢を整えた頃であり、弾雨のなかを爆撃するのは容易ではありません。被撃墜機は出なかったものの、水平爆撃隊54機のうち、半数近くの20機以上が被弾を受けて要修理となり、戦線離脱を余儀なくされました。

ヒッカム飛行場に殺到した江草隆繁少佐率いる急降下爆撃隊は、敵が放つ対空砲弾の弾道に沿って突っ込む捨て身の戦法で挑みました。損害艦は眼中になく、狙うは無傷の残存艦のみ。鷹のような鋭い見敵でドック内にいた戦艦「ペンシルヴァニア」を発見し、容赦なく爆撃のシャワーを浴びせます。ペンシルヴァニアは中破しました。

また進藤三郎大尉率いる制空隊は、一次攻撃隊の板谷茂少佐から制空権を引き継ぎ、反撃してくる敵戦闘機の迎撃に加え、陸上基地に居並ぶ飛行機の掃討作戦を敢行、戦果を順当に拡大させます。

空襲部隊の総指揮官である淵田総隊長は、一次攻撃からそのまま上空にとどまり、戦闘指導と戦果確認作業にあたりました。一次と二次で攻撃箇所が重複することがないよう、適切に攻撃ポイントを誘導して戦果を最大限に増大させるのがその眼目でした。

敵の反撃も熾烈を極めるようになり、第二次攻撃では日本側の被害も少なくありませんでした。

丸山賢治飛行兵曹が操縦する蒼龍艦爆機が対空砲火の被弾を受け、そのままホノルル型巡洋艦に突入、同乗の偵察員・桑原秀安二等飛行兵曹とともに散華しました。

同じく、蒼龍艦爆の川崎悟・高橋亮一の両飛行兵曹は駆逐艦に突撃自爆、命と引き換えに敵に一矢報いたのです。

さらに、蒼龍制空隊隊長の飯田房太大尉は、カネオヘ基地攻撃中に敵機から受けた弾丸がガソリンタンクに命中、ガソリン漏れを起こして母艦への帰投が困難と判断されるなか、列機を帰投方向に案内して笑顔で別れを告げ、そのままカネオヘ基地にUターン。愛機の零戦とともに壮烈な最後を遂げました。

実際のところ、飯田大尉の被弾は帰投不可能なほどの損傷ではなかったと言われます。しかし、大尉は母艦発鑑前の部下への訓示で、「被弾を受けて帰投困難と判断される場合は、捕虜の辱めを受けないためにも敵基地もしくは敵艦船に突入し、皇軍として誇りある最後を遂げよ」と述べました。その言葉を隊長みずから体現したのでした。

戦果判定

機動部隊の航空攻撃隊によるハワイ作戦の戦果は次の通りです。

撃沈破 艦種 日本側判定 米側資料
撃沈 戦艦 Cカリフォルニア型

Dウエストバージニア型

Fアリゾナ型

 Bアリゾナ型

Dウエストバージニア型

Gカリフォルニア型

Fオクラホマ型

 

標的艦 ユタ  ユタ

オグララ(敷設艦)

甲巡 甲巡または乙巡
給油艦 給油艦
大破 戦艦 Bアリゾナ型

Eウエストバージニア型

 Aネバダ
駆逐艦  全長140m艦一隻

全長98m艦二隻

全長140m艦一隻

 カッシン

ダウンズ

ショー

軽巡  ヘレナ

ローリー

工作艦  ベスタル
中破 戦艦  Aネバダ型

Gウエストバージニア型

 Eメリーランド

Hペンシルバニア

Cテネシー

甲巡または乙巡  乙巡

甲巡または乙巡

 ホノルル

カーチス(水母)

 

飛行機撃墜破の戦果判定は次の通り。

航空基地 日本側判定 米側判定
フォード 24 哨戒機 27
ヒッカム 37 爆撃機 34
ホイラー 78 戦闘機 88
バーバース 62 戦爆撃 43
カネオヘ 40 哨戒機 32
べロース 6 偵察機 6
合計 247 231

南雲機動部隊は、真珠湾奇襲攻撃で予想以上の戦果を挙げ、アメリカ太平洋艦隊に大きな損害を与えることに成功しました。攻撃隊の中には、第二弾攻撃を主張する者が少なからずいましたが、南雲長官は認めず、攻撃を終了して全艦帰投を命じます。港湾施設や石油タンク、そして訓練のため出港中だった米空母は無傷のまま残りました。これが、後に米軍の猛反攻を許す素地となるのです。

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