真珠湾までの航路に選ばれた北方航海ルートとは?

ハワイ作戦を成功裏に導くには、敵に最後まで悟られず秘匿の中で奇襲攻撃を断行することが絶対条件でした。

しかし、内地からハワイまでは遠大な距離があり、大規模艦隊群の渡航にはある程度の日数を要します。その中で敵の哨戒網を潜り抜け、懐である真珠湾基地に飛び込むわけですから、合理性やリスク回避ばかりを重視しては成功もままなりません。

作戦成功を手繰り寄せる航海ルートの模索に、機動部隊の参謀たちは苦闘します。

北方航路が選ばれた理由

真珠湾までの3ルート

機動部隊が真珠湾基地へ向かう航路として、3つのルートが想定されました。第一は、南方航路。当時日本の委任統治領であったマーシャル諸島からハワイへ向けて進撃するもので、距離にして約2,000カイリ(1カイリ1,852m)。内地からは最短のルートで、海面も穏やかです。

それだけに、敵の哨戒機に発見されて拿捕・撃沈される危険性は極めて高いといえます。

第2に、ハワイ群島に沿って東進する中央航路があります。北緯19度から北緯29度にかけて連なるミッドウェー岩礁などのハワイ群島に沿って航路をとるルート。北方航路と南方航路の中間を抜けていくもので、距離的には短いものの、こちらでも敵の哨戒網に捕らえられる可能性は低くありません。

そして3つめの北方航路は、ベーリング海南のアリューシャン列島を南沿いに東進し、真珠湾のほぼ真北の位置から真っすぐ北太平洋を抜けて南下するルートです。この周辺は冬季になると海面は荒れに荒れてどの商船も通過を避けると言われるくらいの難所で、艦船の航海ルートとしても想像できません。

「はるか北方から太平洋を船で進むことはあり得ない」という固定観念がある分、敵側の盲点を突きやすいメリットがあります。

最終的には、もっとも航海が困難で、難破する危険性も高い北方航路が選定されました。

南雲長官は北方航路に大反対

真珠湾作戦の攻撃プラン作成を担当した航空参謀の源田実中佐は、作戦企画当初から、「この奇襲は北方航路を進軍しなければ勝算の見込みはない」と訴え、機動部隊の幹部に進言していました。

しかし、機動部隊司令長官の南雲忠一中将は、「北太平洋なんかのルートを選んだら、戦争する前に船がシケでやられてしまう」と反対し、他のルートでの検討を源田参謀に指示します。

最初から真珠湾作戦の成功は北方航路以外にあり得ないと確信する源田参謀は、北太平洋方面における米海軍の哨戒整備や演習状況、および商業船舶の航海実績に関する調査を軍令部の情報担当や海軍の諜報機関に依頼しました。

その結果、次のような状況把握を得るに至ったのです。

・過去に一度だけ、アメリカ海軍の索敵艦隊がハワイからアリューシャンにかけての海域で演習したことを除けば、米国艦隊の演習海域はほぼハワイ諸島の南方海面に限定される。

・米国哨戒機の行動海面は、ハワイ列島南方に限られ、北方へ監視網が伸びることはほとんどない。

・冬季の通商航海ルートは、海がしける北太平洋を避け、アラスカのベーリング海峡を通るのが主流である。

源田参謀はこれらの情報を総合し、「はやり機密保持を貫徹するには北方航路しかない」と再確認します。そしてハワイ作戦の図上演習では、北方航路を選択し、秘匿の中で真珠湾奇襲に成功しますが、「図上演習で船がシケに見舞われることはない」と南雲長官に一蹴され、容易に最終決断にたどり着くことはできませんでした。

「兵は詭道なり」の戦法

ハワイ作戦は、絶対秘匿が大前提であり、万に一つもその情報が洩れては成功の見込みはありません。

作戦行動が敵の知るところとなれば、機動部隊は手ぐすね引いて待ち構えている太平洋艦隊と正面からぶつかることになります。敵の戦力規模を考えれば、よくて相打ち、下手をすれば全滅で、この作戦に投入した空母をすべて失ってしまうことになるでしょう。開戦劈頭から勝敗が決まってしまう戦いは、何としてでも避けたいところでした。

図上演習の結果を見てもなお首を縦に振らない南雲長官に対し、源田参謀はこう訴えました。

「奇襲は、兵の常識を破ってこそ成立するものです。源義経のひよどり越えも、馬が通れるやわな坂道であればあっさり平家に逆襲されたことでしょう。敵に悟られる公算が高い南方航路を選ぶくらいなら、作戦を中止したほうがマシです。確かに北方航路は海がしけて航海は困難ですが、そこを我々の努力で切り抜けようではありませんか」

連合艦隊の佐々木参謀、第二航空戦隊司令官山口多聞少将も源田プランに同意したことから、南雲長官もついに折れて北太平洋ルートをとることで落ち着きました。

洋上補給の問題

大艦船軍の遠洋航海で、機密保持以外に大きな課題となったのが、戦艦の航続力が抱える限界です。

当時の日本海軍の艦船は、西太平洋の国防ラインでアメリカ艦隊を迎え撃つ戦略思想をベースに設計されていたため、その航続力は米国艦船と比較し、圧倒的に不足していて頼りないものでした。

源田実著『真珠湾作戦回顧録』によると、もっとも航続力の長い加賀、翔鶴、瑞鶴でも、16ノットで10,000カイリ、18ノットで航行するならば、8,000カイリに過ぎません。この航続力でハワイまで辿りついたとしても、肝心の戦闘の場面では1日走れば立ち往生してしまう有り様です。

航続力がさらに足りない駆逐艦などは、母艦以上に洋上補給についての検討を重ねる必要がありました。

洋上補給に関しては、技術的な問題もあります。

従来、洋上での給油作業を必要とするのは巡洋艦以下の小型艦艇で、大型戦艦などは想定外でした。しかも、北方航路では相当荒れた海面での洋上補給が前提であり、こうした環境において前例のない大型艦艇への補給作業は至難の業というしかありません。

真珠湾作戦が計画立案されて以降、雷撃・爆撃の分野で各飛行隊長のもとかなり激しい演練が実施されましたが、給油艦の補給作業の練習も急ピッチで進められました。

開戦の年の昭和16年に、特設給油艦である極東丸が第一航空艦隊へ編入、第二航空戦隊付きとなり、九州南方海面でさかんに空母加賀などを相手に補給訓練を積み重ねました。そのほかの給油艦も練習と試験を繰り返し、作戦決行前には何とか大鑑への補給もスムーズに行えるようになったのです。

機動部隊の編制

絶対秘匿の中、ハワイ作戦遂行任務を課せられた機動部隊の各種部隊、司令官、兵力並び任務は次の通りになります。

編制区分 指揮官 兵力 主要任務
空襲部隊 南雲忠一中将 航空母艦6

(赤城・加賀・飛龍・蒼龍・翔鶴・瑞鶴)

敵主力艦と空母の撃滅
警戒隊 第一水雷戦隊司令官

大森仙太郎少将

軽巡1(阿武隈)

駆逐艦9(谷風・浦風・浜風・磯風・不知火・霞・霙・陽炎・秋雲)

警戒・護衛
支援隊 第三戦隊司令官

三川軍一少将

戦艦2(比叡・霧島)

大巡2(利根・筑摩)

空襲部隊支援
哨戒隊 第二潜水隊司令

今泉喜次郎大佐

潜水艦3

(伊19・伊21・伊23)

航路警戒
ミッドウェー破壊隊 第七駆逐隊司令

小西要人大佐

駆逐艦2(曙・潮) ミッドウェー基地破壊
第一補給隊 極東丸特務艦長

大藤正直大佐

給油艦4

(極東丸・健洋丸・国洋丸・神国丸)

補給
第二補給隊 東邦丸特務艦長

新美和貴大佐

給油艦3

(東邦丸・東栄丸・日本丸)

補給

これだけの大兵力が編隊を組んで整然と航行し、波しぶきをあげながら一路ハワイを目指しました。最終的には大きなトラブルもなく、予定通り12月7日日曜日(ハワイ時間)、目標地点に到達し、空母から第一次攻撃隊183機がハワイ・オアフ島へ向けて飛び立っていきました。

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