『ハワイ作戦』計画立案の背景と山本五十六の狙い

敵主力艦隊が在伯するハワイ基地へ、大規模かつ精強な航空部隊を従えた空母機動部隊が長躯して切り込み、怒涛の空襲攻撃で敵基地能力を無力化する―。

この大胆にして壮大無比な奇襲作戦プランは、山本五十六連合艦隊司令長官の発案によって生まれました。

従来の戦略思想とハワイ作戦

日本と米国が干戈を交えるならば、主戦場は必然的に太平洋となります。つまり、米国との戦争は海軍の戦争であり、強力な艦隊とすぐれた戦略構想を持つことが、勝敗の分かれ目といえるわけですが、従来の海軍における対米戦略の基本ラインは、「大艦巨砲主義」と「邀撃(ようげき)作戦」の2本柱が中心でした。

「大艦巨砲主義」とは、戦艦部隊の総合力が敵との優勝劣敗を分けるとする兵略思想です。主力戦艦の数や規模、主砲の破壊力、命中精度が作戦計画上の重要な位置を占めると同時に、艦隊決戦に狙いを定めた用兵術の精度向上こそ、強い海軍を築き上げる最上の方法と考えられていました。

戦艦を主力部隊と位置付ける大艦巨砲主義は欧米海軍においても主流でしたが、日本海海戦の強烈な戦勝体験を持つ日本海軍はとりわけ、この考えに固執する組織風土を抱えていたのです。

もうひとつの「邀撃作戦」は、海軍の伝統的な対米戦略方針として、訓練や錬成、軍備、作戦計画の基礎をなすものでした。

すなわち、太平洋を西進してくる米国の主力艦隊を、国防ラインの手前で迎え撃ち、一大決戦に挑むという作戦構想。対米作戦要綱ができた当初の国防エリアは、小笠原諸島から奄美大島を結ぶ列島線の内側まででしたが、時代とともに変遷し、昭和15年頃にはマーシャル諸島の北方海域まで拡大しました。

ハワイ作戦は、この2大方針のいずれも覆す内容といえます。その主張を支えるのは、第一次世界大戦で登場した航空機という革新兵器の存在と、それがもたらした兵略思想の大転換でしょう。当時は、攻守の範囲を大幅に拡大し得る航空機こそ、洋上決戦の勝敗を決する「航空主兵論」が台頭してきた時代でもありました。

そして、ハワイ作戦の立案者である山本五十六大将は、航空主兵論の急先鋒であり、米国に対しては受け身戦法でなく、「勝算は攻勢の中にあり」と説く積極戦法論者でもあったのです。

ハワイ作戦の概要

ハワイ・真珠湾口に停泊する敵空母・艦船および飛行場に居並ぶ敵戦闘機を一網打尽にするハワイ作戦は、山本五十六長官によって発案され、その後、航空参謀の源田実大佐によって具体的な攻撃プランがまとめられました。その骨子は、

・空母6隻(赤城・加賀・飛龍・蒼龍・翔鶴・瑞鶴)を基幹とする、南雲忠一司令長官率いる機動部隊がハワイに押し寄せ、爆撃機、雷撃機、艦上攻撃機でもって敵空母・艦船および戦闘機、敵基地に奇襲攻撃を加える。

・機動部隊にさきがけ、第6艦隊清水光美司令長官率いる潜水艦部隊が内地を出港、ハワイ周辺へ躍り出て敵艦隊動静を探知し、あわよくば魚雷攻撃でもって艦船を沈め、湾口封鎖を試みる。

・攻撃は奇襲を大前提とし、第1次攻撃隊と第2次攻撃隊に分かれ、敵上空へ殺到する。

・敵の哨戒網を潜り抜けるため、商船の通行がほとんどない北方経路を選択。敵に探知されない絶対秘匿を前提とする。

敵の懐深く斬り込み、反撃の余地を残さず一挙殲滅を図るには、統率のとれた艦載機部隊の波状攻撃と、それを生み出す空母の集中運用が絶対条件でした。

山本五十六の狙い

日本が戦争に踏み切った理由、そして戦略上の大きな狙いは、南方(インドネシアを中心とする油田地域およびその周辺国)の資源地帯の確保でした。

そこへ陸海の大軍を投入し、フィリピンを支配するアメリカ、マレー半島およびインドを植民地に持つイギリスをけん制しつつ、オランダ領インドネシアを占領下に置く。連合国の経済封鎖によって追い詰められた日本にとって、この南方作戦こそ、大東亜戦争において大きな意味を持つ戦いだったのです。

日本が南方へ打って出れば、当然利害のぶつかる英米欄との戦争は避けられません。イギリスとオランダは別として、世界最大の真珠湾基地を西太平洋に浮かべ、強大な太平洋艦隊でもって威圧を加えるアメリカは脅威以外の何物でもない存在。南方への進軍過程でアメリカ海軍に後背を突かれては、この作戦構想はたちまち瓦解し、あっという間に米英にねじ伏せられてしまうだろう。これが山本長官の抱く懸念でした。

南方作戦の実行を安産に導くには、まず太平洋艦隊をハワイ基地で叩き、米国が西太平洋から進出できない状況を作ることが先決でした。しかし、こうした山本長官着想によるハワイ作戦に対し、軍令部も、実際に指揮をとる機動部隊上層部も頑強に反対する意向を示したのです。

この作戦は投機的要素が非常に強く、北方航路での洋上補給も困難であるに加え、ハワイまでの大遠距離航海を秘匿で貫き通せる保証はどこにもない。しかも、真珠湾に多くの航空母艦を駆り出されては、南方において航空兵力が不足し、作戦遂行に大きな支障が乗じる、というのが主な反対理由でした。

連合艦隊の内部でも足並みがそろわない中、9月29日に第一航空艦隊参謀の草鹿龍之介、第十一航空艦隊参謀の大西瀧次郎が山本長官のもとを訪れ、ハワイ作戦中止を直談判しました。

草鹿参謀の、「国家の命運をかける戦いで、投機的な作戦を断行するのは好ましくない」というと、山本長官は苦々し気に、「いくら僕がポーカーやブリッジが好きだからといって、そう投機的、投機的と言うなよ」と返しつつ、こう続けます。

「君らのいうことは分かるが、南方作戦中に、米国の爆撃機に本土が空襲されたらどうなる。南方資源さえ手に入れば東京や大阪が焦土と化してもいいのか。…とにかく、僕が連合艦隊長官であるかぎり、ハワイ作戦は絶対やる。両参謀も、ぜがひでもこの作戦を貫徹するつもりで取り組んでくれ」

心酔する山本長官にそこまで言われては、大西参謀も兜を脱ぐしかありませんでした。

「そうだ、草鹿参謀、やろうではないか」と隣の航空参謀に同意を促します。草鹿参謀も、最後には、「長官、しっかりやらせていただきます」と決意を誓って長官室を後にしたとのことです。

大本営を納得させ、ハワイ作戦決行へ

山本長官のハワイ作戦にかける決意は、昭和16年10月24日に書いた嶋田繁太郎海軍大臣(当時)に宛てた、次の手紙の内容からも読み取れるでしょう。

「……然る処昨年来婁々(ハワイ作戦の)図上演習並びに兵棋演習等を演練せるに要するに南方作戦が如何に順当に行きても其略々完了せる時機には甲巡以下小艦艇には相当の損害を見、殊に航空機に至りては毎々三分の二を消尽し、いわゆる海軍兵力が伸び切る有り様と相成る虞(おそれ)多分にあり…」
「結局開戦劈頭有力なる航空兵力をもって敵本営に斬り込み彼をして物心ともに当分起ち難きまでの痛撃を加うるの外なしと考えるに立ち至る…」

「幸いに南方作戦比較的有利に発展しつつありとも一方敵機東京大阪を急襲し一朝にしてこの両都府を焼尽せるが如き場合はもちろん左程の損害なしとするも国論は果たして海軍に対し何というべきか日露戦争を回想すれば想い半ばにすぐるものあり…」

「日露戦争を回想すれば…」とは、ロシアのウラジオ艦隊が東京湾口に現れ、伊豆半島あたりで示威ポーズを見せた事態に日本国民が大騒ぎした過去を指しています。それはともかく、山本長官はこの手紙の中で、南方作戦の成功はハワイの米軍基地を叩いてこそ得られると強調し、「桶狭間とひよどり越えと川中島とを合わせた思い切った作戦が必要」と、不動の決意をにじませています。

山本長官の熱意に大本営も押し切られ、昭和16年10月、ハワイ作戦は正式に、海軍の対米戦作戦計画の中に組み込まれることになるのです。

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